Thumb 10352284 475447915919234 762306281850124135 n

今も、どこかで誰かが歌っている ─ 10年前、路上ミュージシャンとして活動していた私の話。

  • ある日、夜に友達から電話がかかってきました。「今から駅前で歌うんじゃけど、来れる?」電車を調べると、最終しかありませんでした。「行くに決 まっとるじゃろ!」無茶振りであればあるほどワクワクするのが若い頃の特徴。出来る限りの厚着をして自転車に乗って20分、そこから電車に乗って弾 き語りをする駅まで20分。駅についたらいつもの顔が揃っていました。長い夜の始まりです。


  • 路上ライブを始めるきっかけ

    中学生の時に、家に転がっていたアコースティックギターを触ったのですが、「こんなん出来るようになる気がせん!」と、投げ出してしまいました。高校生になり、ゆずや19が流行ってくると、自分の中でザワザワとアコースティックギターを弾いてみたいという想いが出てきて触ってみました。久しぶりに触ってみたのですが、中学生時代に少し触っていた事もあり少し弾けました。

    高校2年生の時、弾き語り(路上ライブ)をしたくてたまらなくなったので、友達と一緒に大きい駅にアコースティックギターを持って行きました。学校にアコースティックギターを持っていって放課後に弾いてみたり、ギターを弾きながら歌うという事にどんどんのめり込みました。一緒に弾き語りをしていた友達に彼女が出来て、友達を束縛され、弾き語りに行けなくなりました。当時の自分は一人で路上ライブをする勇気がありませんでした。

    高校3年生になり、卒業までの少しの間、学校に行かないでいい期間がありますよね。その頃に、一人でギターを持って駅前に行ってみました。そこでたくさんの仲間が出来て、下手ながら頻繁に路上に出るようになりました。そこからはライブハウスでライブをしたりイベントに参加したり学園祭のコンテストに参加したりという活動にのめり込みました。

    知らない人が差し入れをくれる

    これはよくある事なのですが、歌を聴いてくれた人に差し入れを貰います。食べ物が多いですね。おばちゃんがパンをくれたり、冬には温かいコーヒーや缶のコーンポタージュ、肉まんが多かったように思います。弾き語りが終わるタイミングだったらご飯を奢ってもらう事もありました。正直、知らない人から食べ物をもらうというのは、今から考えると少し恐い事でもあります(笑)あまり細かい事は気にしない性格なので、ありがたく頂きました。

    毎日のように朝から晩まで歌っていた時期があります。母が仕事に行く時についでに車で近くまで乗せて行ってもらって、オレンジジュースとパンだけ持って後は1日中歌い続けていました。夕方になると学生の仲間や常連さんが来てくれました。当時、なんで朝から晩まで歌っていたかというと、路上で頂いたお金だけで携帯電話の料金を払えるかという事にチャレンジしていたからです。1日ずっと歌い続けると平均して2000円から3000円くらいの投げ銭をもらう事が出来ました。時には、友達とギター片手に飲み屋街の方に歌いに行ってみたりしました。酔っぱらいと女連れの男性は投げ銭を入れてくれる確率が高い事を知っていたからです。

    金額的には100円と500円、小銭をバラバラいれるパターンが多いです。サラッと千円札を入れてくれる人、数曲聴いて1万円札を入れてくれる人もいました。僕の歌が良かったというよりも、寒い中頑張っている姿勢に、応援してやろうと思ったんだと思います。投げ銭でもらったお金で買った肉まんは格別に美味しかったです。

    様々な人と知り合う

    普通に住んでいて旅人と知り合うという事はあまりないですよね。路上で歌っていると、1年の間に何人かの旅人と知り合います。結構旅をしている人は多いように思います。大量の荷物を自転車にくくりつけているパターンと、ヒッチハイクで巡っている大きいリュックのパターンがあると思いました。旅人なので、お風呂に入ってない事が多く、仲間と「旅人臭(たびびとしゅう)がする。」と言い合っていました。気さくで変わり者が多いので個人的には面白いと思えるタイプの人達が多かったです。

    路上で知り合う人の中には、説教をする人もいます。当時、僕は定職につかずに毎日弾き語りをしていたので、だんだんと深い話になっていくとそういう話になっていき、大人との壁を感じていました。自慢をしてくる人もいます。自分は昔、プロのミュージシャンだった。。という話をする人が多かったです。あとは、音楽業界で影響力がある人と繋がっているという事をアピールしてくる人も少なからずいましたね。

    当時は弾き語りが流行っていたという事もあり、10代、20代の人と知り合う事も多かったです。女子高生が特に多かったですね。ミュージシャン同士もコミュニケーションをとっていました。場所は取り合いなので、友達でありライバルという感覚はいつもありました。

    ホームレスも多いです。夜になると冬の寒空の下、ダンボールとありったけの布に包まって眠っています。それを見ながら歌っていました。当時、自分達も寒さに耐えるため、もこもこになるくらい着込んで眠くなったらそのまま眠ったりもしていたので、帰る家はあれど、ホームレスの人達を差別する事はありませんでした。今でも比較的フラットに世の中を見渡しているんじゃないかと自分では思っているのですが、その感覚はこの頃に養われたものだと思います。

    真冬に一晩中歌い続ける

    ある日、夜に友達から電話がかかってきました。「今から駅前で歌うんじゃけど、来れる?」電車を調べると、最終しかありませんでした。「行くに決まっとるじゃろ!」無茶振りであればあるほどワクワクするのが若い頃の特徴です。出来る限りの厚着をして自転車に乗って20分、そこから電車に乗って弾き語りをする駅まで20分。駅についたらいつもの顔が揃っていました。長い夜の始まりです。無謀なのは家を出る前から分かりきっていました。今みたいに避難できるネットカフェもありません。始発がくるまでは帰れません。唯一の救いはコンビニがあること。だから死ぬ事はないはず。。という算段はありました。

    一通りいつも歌う歌を歌って、近くのコンビニでパスタを買って食べました。路上でパスタを食べると、あっという間に冷たくなります。夜は想像以上に寒く長かったです。朝になり、通勤時間になると、厚着をしてモコモコの自分達の前をたくさんのスーツが通り過ぎました。猫が背伸びをしたくらいの目線でいくつもの人をボーっと見ていました。朝10時になり、お店が開き、重たいギターを持って店内に入るのですが、体が底冷えしているのでいつまで経っても暖かくなりません。一つの袋菓子をみんなで食べて帰りました。今から考えると、深夜に歌う必要は全く無いですね(笑)でも、それが楽しかった時代なんです。昼から歌ってた時も話が盛り上がって帰るのが名残惜しくてみんなで終電を見送る事もありました。何度も洒落にならない寒さを経験してみんなで乗り越えた。深夜に寒さを和らげる為に誰もいない地下道で短距離走の勝負をしたり。何をするかより、「誰と」するかが大切だと思いました。

    音楽が物語を作り出す

    弾き語り関係では、様々な事がありました。たくさんの出会い、嬉しかったこと、腹がたったこと、勉強になったこと、たくさんの学びがあり、人生が豊かになったと実感します。一人で音楽をするのも楽しいのですが、音楽を通じて人と接する事をオススメしたいです。積極的に外に出て音楽をしてほしいです。年をとっても変わらず出来る事の一つ。歌ってもいいしギターを弾いてもいい。打楽器なら、リズムに合わせて叩いてればセッション出来るので初心者にもいいですね。弾き語りをしていなければ出会えなかった人がたくさんいます。体験する事が出来なかった事もたくさんあります。音楽は、楽しい時間だけではなく、後に語る事が出来る物語も作り出してくれます。音楽が、場所や人とあなたを繋げてくれます。音楽は、心震えるような「生きてる感」を僕にくれた大切な要素です。ありがとう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2 People have liked this article.